第100話    クロ釣に始まり、クロ釣に終わる」   平成18年03月05日  

黒鯛は北海道の南部を含む、日本全国つづ浦々に生息している事が分かっている魚である。そして黒鯛は人の住む極く身近な海域にも多く生息していたから、その釣りは釣り人にとって最も身近な釣となっている。その釣り方も様々で昔からその土地その土地にあった、独特な釣り方が生まれて来た。しかし、今や情報の氾濫の時代である。最新釣法が新聞や雑誌等で色々な釣り方が紹介される上、更にTV、VTRなどでも簡単に見る事が出来る。その昔、活字でしか知りえなかった情報が簡単にそして事細かに見ることも可能な時代となって来た。その中から自分にあった釣り方が選択出来る時代となった。

自分たちが釣を知った時代は、極く身近にいる上手な釣師たちの技を見様見真似で、その技術を習得して来た。親切な年老いた釣師に、聞けばその魚の釣り方を色々と教えてくれもした。釣方もその人その人で色々で、又その日の天候、潮、時間の具合でも微妙に変化する。それらをすべて知ることは、経験と勘と時間を必要としそう簡単に習得出来るものではなかった。長く釣をしていると、時にはスランプに陥る事もある。そんな時に限って餌を変えたり、ハリスを変えて見たり色々な釣り方を試して見ても、急には上手く行くものではない。

スランプに陥ることは、次のステップに上がる為の絶好の機械チャンスなのであるが、大抵の釣師は釣れないと直ぐに別の釣り方に代わってしまう事が多い。そして又行き詰まり別の釣り方へと移る。一つの技を極める事は、並大抵の努力で自分の物にすることなぞ出来るものではない。特に私見たいな不器用な者の力では、急に色々な釣り方を簡単にマスターする事が出来ない。新聞、雑誌で見て知った知識を利用して色々と試して見た事もあるが、その試みの大半は自分自身が納得出来ないが為に、失敗に終わっている。若い頃の自分には師匠と呼べる特別な人がいなかったが、出来るだけ上手な人の側で良く釣をした。そして見て見ぬ振りをして、少しずつその技術を盗んだものだ。

余程の才能と知恵がある人は別であるが、我流の釣はあるところまでは伸びても、天才でもない限りその先が続かない。自分のように上手下手よりも釣そのものが好きな人はそれでも良い。しかし、釣をすれば欲が出て、人並みかそれ以上の釣がしたくなるのが人情である。

関東では良く「鮒に始まり、鮒に終わる」と云う釣りの諺がある。自分が知っている関東の場合ではごく身近な場所に管理釣り場(釣堀)が、数多くありそこでヘラブナ釣が行われて居た。そこで多くの者が釣を覚えてやがて成人し様々な釣を始めるが、年をとると無理が出来ないので又管理釣り場に戻ってきて繊細なヘラ釣りをやる人が多かった。だからそのような格言、諺が成立した。当地の様に、ヘラ鮒はいる事はいるが、鮒を釣ると云う習慣がない地方では、その様な格言は成立しない。昔はハゼ釣から出発してやがて篠野子鯛(黒鯛の幼魚~二歳)釣りをし、それから黒鯛派と長物派(スズキ釣)に分かれた。そして老いるとまた小物釣のハゼ釣や篠野子鯛釣に戻ると云う釣をした。ところが、最近では、そのはぜも少なくなって、釣れても奇形や皮膚病の物多くなって来ている。だから年老いてもそんな釣をする者は殆んどしなくなった。

最近のお年を召した方々は非常に元気で、現役で黒鯛釣りをしておられる方が多い。だからここ庄内では「クロ釣に始まり、クロ釣に終わる」とでも云う諺が出来ても良いと考えている。いつまでも庄内の伝統の黒鯛釣りの火を消さないで欲しい物だと考えている。




あとがき

今日で「釣への想い」100話、「新・釣への想い」100話と完結した。

思えばこんなにネタが続くとは思っても見なかった。ネタが尽きると古い釣具やサンや諸先輩に話を聞き歩いたりもした。庄内の古い釣りの文献等もないかと何度も図書館回りもした。その結果自分が知らなかった事なども色々と勉強になり分かって来た事も数知れずある。庄内の昔の釣を、知っている人たちが随分亡くなっている。今書き留めねば永久に分からず仕舞になりはしまいかと云う半ば使命感を感じながら夢中で書いていた事もある。そしてその時々で自分の釣への想いも書かせて貰った。

ここまで書けたのは、メールなどで励ましのお言葉を戴いた事が、随分と励ましになった。本当に有り難く思っています。

今現在あと数編アップ残しがありますが、後日何かの形で載っけたいと考えています。長い間どうもありがとう御座いました。